善日麿詩篇 第三部 小松原法難


 伊豆法難(1261年、弘長元年)後、日蓮聖人は伊豆においても活動を続けておりましたが、弘長3年(1263年)2月に伊豆流罪が御赦免となり、翌年(1264年、文永元年)、母重病の知らせを受け生まれ故郷の安房の国(千葉県鴨川市)へ戻ります。到着は時すでに遅く、母は御臨終を迎えた時でした。日蓮聖人は法華経の効力を持って母の命を救わんと祈念したところ、不思議にも母は息を吹き返す事が出来ました。

 同年11月11日に、信者である工藤吉隆の招きにより日蓮聖人が屋敷へ赴く途中、多くの軍勢(数百人とも言われている)を率いた東条景信によって襲撃を受けることになります。

 弟子の鏡忍房と急な知らせを聞いて助けに駆けつけた工藤吉隆の二人は激戦の末、討ち死にとなります。また日蓮聖人も東条景信によって眉間に三寸の傷を負わされ、あわやという時に傍の「槇(まき)の木」より鬼子母神が現れ一命を取り留める事が出来たと言われています。

 この事件が「小松原法難」と言われ、その現在の場所には「鏡忍寺」が建立されており、境内には鬼子母神が現れた「槇の木」があります。またその傍らには鏡忍房の墓石も拝見できます。

 本作品は上記のお話に基づいて創作されています。

 

 初演は2016年10月16日、一乗寺 本堂(長野県安曇野市)において、戸田顕 指揮、松本ウインズ・コンソートの皆さんによって行われました。